徳大寺有恒 著「徳大寺有恒からの伝言〜そろそろ、クルマの黄金時代の話をしておきましょうか」(二玄社)
日本自動車史とともに歩んできた巨匠が、“自動車の真髄”を伝授する!「正しい自動車批評の方法」から「クルマと女」まで、若手モータージャーナリスト5人を相手にすべてを語り尽くした。
c o n t e n t s
島下泰久
『間違いだらけのクルマ選び』は どこが衝撃的だったんでしょう?
松本英雄
感銘を受けた日本車のメカニズムは 何でしたか?
清水草一
フェラーリのスゴさって何ですか?
小沢コージ
“徳大寺有恒”が作られた時代のことを教えてください
渡辺敏史
「NAVIトーク」が自動車批評にもたらしたものは?
この本では、自動車評論家の巨匠徳大寺が若手モータージャーナリスト5人に語る形になってますがその「若手」というのが自分とほぼ同世代。一番若い島下氏で30代後半。この世代まででしょうね。普通の男子がごく自然に自動車に興味を持っているのも。。。それ以下の世代だと車に関心を持っている男子の比率は段々と下がってくるのでは?むしろ「鉄」な人の方が多そうな。
確かに、著者が冒頭に書いてあるとおり、「日本車が最大瞬間風速を記録したのは、1989年だと思っている」という見解には自分も同意。この年はバブルの最盛期でトヨタからは初代セルシオ、日産からはR32スカイラインGT−R、ホンダからはNSX(発売開始は翌年)、マツダからユーノス・ロードスターが登場。この段階で日本車が世界トップクラスのレベルになったと。
自分自身は、1970年代後半のスーパーカーブームあたりからクルマに関心を持ちだし、大学に入った頃に免許取得。当時は自家用車がなかったので、父親が社有車にもかかわらず通勤に使用していた車【三菱ギャランのバン】で運転の練習。就職先がクルマで10数分、バスと電車を乗り継ぐとかれこれ40ー50分位かかるところだったので、徒歩圏に引っ越すまでの間の10数年間自動車通勤を選択。
その後、自動車通勤でなくなってから、特に現在乗っている9Nポロ購入以降は自動車にあんまり関心がなくなりましたね。昔は休みの度に自動車ディーラー巡りをしていたのが、今は野球観戦やサッカー観戦の方が優先。サッカーは車で約20分の平塚競技場がメインなので車で行くとしても、野球では平塚球場と相模原球場以外は自分の車で行ったことはないし、たまに高速道路に慣れるために東名厚木IC−横浜町田IC(保土ヶ谷バイパス・R1経由)−桜木町とかを使う以外は、車と電車との利便性を比較して適宜選択するようになりましたしね。
話がそれましたが、徳大寺さんが若手モータージャーナリストに伝えたことの一部を備忘録としてここに記録。
【島下氏との対談】
・小林彰太郎さんの存在は大きかった
・原稿が読める編集者でないと書き手は絶対に育たない
・なるべく本を読むことが大事(特に小説)
・(今は)簡単に恋人ができるから若者はクルマに興味がない
・スケベな男は信頼できる
・女性モータージャーナリストももっと色気を出せ
【松本氏との対談】
・技術重視の日産、説明のわかりやすいトヨタなど昔は各自動車会社に特色があった
・エンジニアにはもっと自動車を好きになってほしい
・カーナビを発展させて自動運転に行くような気がする(高齢社会にはそれでいいかも)
【清水氏との対談】
・フェラーリは純粋に「クルマ」
・未成熟な排ガス対策の関係で日米仕様と欧州仕様のフェラーリはまったくの別物だった
・フェラーリは実用に役立つ車でないから滅びない。役に立つ車はいずれ別の道具に取って代わられる
【小沢氏との対談】
・もてるためにクルマに乗った
・編集者時代に初代ゴルフの素晴らしさを確信
・「間違いだらけ」の人生だったからこそ面白い人生だった
・クルマは男のおもちゃ
【渡辺氏との対談】
・独創性という個性を忘れたホンダ
・クルマ好きがクルマを作っていない
・NAVI TALKがほめたクルマは売れない(例:ホンダ・コンチェルト)
⇒自分もいいクルマだと思いましたね。実際にはメカニカル4WSにひかれて4代目アコード(E-CB4)買いましたけど
【当ブログ関連記事:1・2・3】
・トヨタ批判から始まる自動車評論
・クルマの白物家電化・平準化に反対
・クルマの自由な移動体としての魅力が失われてはいけない
・人と物を運ぶための道具であるのなら、より使いやすく気持ちよく、安全に豊かに、持ち主の生活を彩ってくる道具であるにこしたことはない
⇒最後の2つには自分も同意。自動車が売れなくなってきているのは、今のクルマに面白味が感じられなくなったからで、実用性を重視して、自動車通勤を余儀なくされたら軽自動車、家族全員での移動はミニバンでいいやという感じの白物家電化が進んでいるからかと。。。
【参考書評】
■恋愛市場が変化し、クルマの地位が低下(asahi.comから[掲載]週刊朝日2008年12月26日号 * [評者]永江朗)