2009年03月22日

山本博文監修「こんなに変わった歴史教科書」

山本博文/監修「こんなに変わった歴史教科書」(東京書籍)
聖徳太子,武田信玄,足利尊氏,源頼朝…肖像画の人物は皆別人!?イイクニつくろう鎌倉幕府はもう古い!など最近の歴史研究の進展により,次々と書き換えられる歴史の教科書の最新事情を紹介。

本書は、主に1972年と2006年の中学校歴史教科書を比較して、教科書の記述が変わったところを、なぜ変わったかという視点で書いてあります。

歴史の教科書は、新しい発見を順次加味して改訂していくので(原則4年ごとらしい)、昔習ったことと違ってくるのは仕方ないでしょうね。

で、歴史の教科書の最初の方に載っているこれ。

今は仁徳天皇陵」とは言わないんですね。
「仁徳天皇陵」って、漢字変換はスムーズなんですが、Googleと「大仙陵古墳 - Wikipedia」(本書では「大仙古墳」と表記)がTOPに来ます。
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん、大仙古墳、大山古墳とも)は、大阪府堺市堺区大仙町にある百舌鳥古墳群の古墳の一つで、日本で最大の規模を誇る前方後円墳である。また、墓域面積は世界最大である。この古墳の役割の一つとして、海から見える前方後円墳であり、船から見える目印としての前方後円墳であることが考えられている。

宮内庁によって仁徳天皇の陵墓として管理されており、陵号は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。一般的には仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)、または、仁徳御陵(にんとくごりょう)と呼ばれる。しかしながら学術調査が厳しく制限されており、仁徳天皇の陵墓であるかは定かではない。

ということで、今の教科書では「大仙陵古墳」「大仙古墳」「大山古墳」などと書いてあるようです。

また、自分は、鎌倉幕府の成立年は「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えた世代なんですが、1192年には征夷大将軍に就任しただけであって、この年に源頼朝が「鎌倉幕府を設立した」と言ったわけでもないし、そもそも「鎌倉幕府」という呼び方は、後の人が言い出したものですしね。
頼朝が鎌倉で武家による実効支配を確立したこと=「鎌倉幕府」成立と考えると1180年から1192年まで諸説あるらしいのです。(参考
だから、今の日本史の試験でも、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年は?というような設問になるのかなと。。。

また、管理人が
江戸時代の三大改革と教わった
享保の改革」、「寛政の改革」、「天保の改革」と、
田沼意次=「賄賂政治家」
これも、視点を変えると、三大改革と呼ばれるものは「財政緊縮策」で経済的活力を弱め、田沼のは「積極的景気浮揚策」で経済活動を活性化させることで、幕府の財政は改善したという評価もあるようですね。

もっとも、田中角栄に対する評価だって、総理大臣就任当初は「今太閤」と持ち上げといて、金権問題が出ると極悪人扱い。「ロッキード事件」だって、今では角栄が米国従属から自立しようとしていたのが宗主国の怒りにふれて、罠にはめたという説もあるしね。。。

あと、(昔の)歴史の教科書に載っていた人が、実は別人らしいとされていることも仕方ないんでしょうね。



■ 著者情報
山本博文
昭和32(1957)年、岡山県生まれ。
東京大学文学部国史学科卒業後、同大大学院を経て、57年東京大学史料編纂所助手、平成6年助教授、13年教授。文学博士(東京大学)。
『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
『寛永時代』『幕藩制の成立と近世の国制』『切腹』『日本史の一級史料』『将軍と大奥―江戸城の「事件と暮らし」』『江戸人のこころ』『お殿様たちの出世』『大奥学事始め―女のネットワークと力』『教科書には出てこない江戸時代』など著書多数。

■ コンテンツ
第1章 古代
 人類登場の年代はどんどんさかのぼる? 人類の出現
 遺跡の発掘で変わる時代像 三内丸山遺跡
 米づくりはいつの時代に日本に伝わったの? 稲作の始まり
 え!「大和朝廷」と言わなくなったの? 大和政権の呼び方
 世界最大の古墳と習ったはずだけど…… 「仁徳天皇陵」
 え! これば別人? 聖徳太子の画像
 日本ではじめて鋳造された貨幣は何? 和同開珎
 反乱者から抵抗の英雄へ 蝦夷とは

第2章 中世
 「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えたけど…… 鎌倉幕府の成立年
 え! これは頼朝ではないの? 源頼朝の肖像画
 2回とも暴風が吹いたのか? モンゴル襲来(「元寇」)
 足利尊氏じゃないの? 騎馬武者像
 日本人ばかりではなかった! 「倭寇」とは

第3章 近世
 あのいかめしい肖像画は信玄ではなかった? 武田信玄像
 合戦に武田の「騎馬隊」はいたのか? 長篠の戦い
 「士農工商」はなかった? 江戸時代の身分制度
 「お触書」は江戸幕府が出したものではなかった? 「慶安のお触書」
 「乱」から「一揆」へ 島原・天草一揆
 江戸時代は「鎖国」をしなかった? 鎖国
 「踏絵」を使って行われた「絵踏」 絵踏
 「銀座」は京都にもあった 江戸時代の貨幣
 経済成長で文化が発展した「田沼時代」 田沼意次
 一揆の原因は「苦しい生活」だけなのだろうか 百姓一揆
 外国との通商を断る理由だった? 「鎖国」は祖法
 なぜ大ベストセラーになったのか? 『南総里見八犬伝』

第4章 近代
 イギリスの植民地支配への抵抗 インド大反乱
 日本に開国を要求したアメリカの目的は中国との貿易だった! 日米和親条約
 策謀でつくられた「倒幕の密勅」 大政奉還から倒幕へ
 なぜ「戊辰の役」と呼ばなくなったのか? 戊辰戦争
 なくなった「四民平等」という言葉 古い身分制度の廃止
 最初は抜け穴だらけだった! 徴兵令
 開拓に従事させられたのは屯田兵だけではなかった! 北海道開拓
 不平等条約改正をめざしたが、成果はあがらなかった 岩倉使節団
 「役」から「戦争」に呼び方が変わった 西南戦争
 きっかけは「甲午農民戦争」 日清戦争
 日本に大国意識を醸成し、アジア諸国の独立の動きをうながした 日露戦争
ラベル:歴史教科書
posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 06:44| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 おはようございます。

 子供のときに習った歴史と、大きく異なっているようですね。

 やはりアップデートしていかないといけないようです。
Posted by たべちゃん at 2009年03月29日 07:47
>たべちゃん様
コメントありがとうございます。

まさに歴史とは、新たな発見の継続ですね。
Posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 2009年03月29日 19:10
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