2009年06月25日

南 正時「0系新幹線から始まる 昭和の鉄道風景」

南 正時0系新幹線から始まる 昭和の鉄道風景」(実業之日本社)
懐かしの写真を満載した「昭和鉄道賛歌」

昭和39年の東海道新幹線開業と共に走り始めた0系新幹線の引退で、昭和の国鉄黄金時代を築いた車両は、ほぼ第一線を退くことになります。全国各地のローカル線が姿を消し、国鉄がJRに生まれ変わるなかで、私たちが見失ってしまった心に残る「鉄道風景」を、鉄道写真界の第一人者である著者が、秘蔵の写真と珠玉のエッセイでまとめた一冊です。鉄道ファンならずとも、思わず心動かされるレトロなシーンを多数掲載しました。日本人が、鉄道が豊かに輝いていた時代を存分に味わってください。

目次
1 新幹線「夢の超特急」誕生
2 百花繚乱国鉄の優等列車
3 個性たっぷりの機関車たち
4 鉄道をめぐる風俗、連絡船など
5 都会を走った身近な電車
6 ローカル私鉄挽歌―消えた鉄路
番外編 オジ鉄のカメラ機種遍歴―ボルタ判500円のカメラや、富士ペットからの事始め

この本の内容をそのまま紹介しても仕方がないので、この本に沿って管理人の鉄道原体験を語ることにしますか。

新幹線に初めて乗ったのは、中学校の修学旅行で京都・奈良へ行ったときですね。その頃は、0系新幹線しかありませんでした。
高校の修学旅行は北九州(平戸・長崎・島原・熊本・阿蘇・別府)で、この時も行きは小田原から博多まで(名古屋で「こだま」から「ひかり」に乗り換え)、帰りは別府から大阪まで海路で新大阪から小田原まで新幹線でしたね。
そういえば、ビュッフェへ速度計を見に行ったっけ。
500系の運行当初に名古屋から博多まで乗り通したことがあるけど、社内のテロップに「現在300Km/hで走行中」って出たような記憶があります。

その後、0系新幹線に乗ったのは、1990年代までだったかと思います。今世紀に入ってからは、「こだま」も100系になっていたのでは?
なので、鉄道博物館で撮った0系の画像しか手元にありません。
鉄博の0系.jpg
博多で100系.jpg←100系なら博多で撮影したものが
20系寝台特急なら
090312_冨士(東京駅).jpg←「富士」のラストラン1日前の画像がありますが、実際に乗ったのは1990年頃に横浜→高松の「瀬戸」(サンライズになる前)の1回だけ。

食堂車は利用したことがありませんので、
鉄博ハチクマライス.jpg←鉄博内の「日本食堂」で再現されたものを

SLも静態保存されているものなら近所にもあるんですが、動いているのを見た記憶がないですね。

管理人の父親の実家が長野県(東信地方)にある関係で、急行「信州」にはよく乗りました。横川駅で「釜めし」を買うのがお約束でしたね。

管理人は、物心ついた頃から小田急沿線に住んでいましたので、NSE(3100系)のミュージックホーンには懐かしさを感じますね。最寄駅が本厚木でしたからSE車(3000系)なら、小さい頃から乗ってましたが、NSEはめったになかったし、展望席なんて乗ったのはかなり最近のことだったかも。

あと、20系寝台以外の客車列車には乗った記憶がないですね。


0系新幹線から始まる 昭和の鉄道風景 (じっぴコンパクト)

0系新幹線から始まる 昭和の鉄道風景 (じっぴコンパクト)

  • 作者: 南 正時
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2008/10/31
  • メディア: 単行本



著者紹介 
南 正時 (ミナミ マサトキ)
鉄道写真家。1946(昭和21)年、福井県武生市(現・越前市)生まれ。アニメの制作会社勤務後、フリーのカメラマンとなる。鉄道書、旅行書など著書多数。雑誌、新聞連載のほかラジオ、テレビの旅番組にも出演している。日本旅行記者クラブ、旅行作家の会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 05:20| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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