2006年09月28日

だから体育会系は。。。。(その2)

本書はいまから遡ること37年前の1964年に弊社から発行された『販売は断られた時から始まる』の改訂復刻版です。40年近く前に発行..


とまあ、昨日のエントリーで星野さんの予防線的発言を皮肉ってましたが、自分の体験談を。

小学校の頃の自分は、足はめちゃ速いけど、体の柔軟性とか持久性は並かそれ以下だった。

放課後は、家の団地の空き地でソフトボールばかりやっていた。
場所は2ヶ所を使っていたのですが、HNのとおり左投げ左打ちだったので、片方は引っ張ると家のガラス割る危険性あり、もう一方は簡単にファンス超えでローカルルール二塁打(爆)。

ということで、自然と左方向に流す技術(とまでいえるか?)が身についてしまい、足の速さにも自信があってボテボテのサードゴロ・ショートゴロならたいてい内野安打にしていた。

中学に入るとき、左投げ左打ちというのも珍しかったので野球部にも誘われて、一時は入るつもりにもなっていたけど、結局陸上部に入った。

というのも、坊主頭と上下関係のきつさが嫌だったから。

当時の陸上部は、頭髪とか上下関係とか甘かったですからね。

結局、陸上部も1年の夏休みに大怪我をして、しばらく休部のまま自然退部。

3年になって、新設校ができてそっちに移ったときには故障も癒えていたので、自分が中心となって陸上部を立ち上げ部長に就任。

部長としては、自分も練習熱心ではなかったもんだから、生ぬるいという批判はかなりあったようだが、準備や後片付けを後輩に押し付けるのではなく、上下関係なくみんなでやろうという方針は好評だったようだ。

その後、高校では運動部には所属せず、文化祭運営委員会中心の季節営業。大学でも英会話サークルで、体育会系とはほど遠くなってしまっている。

そういう部活経験からして、しごきとかリンチとかいうものには無縁でしたので、今回の時津風部屋の事件なんて、

シンジラレナ〜イ!

の世界。

posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 22:32| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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