内容紹介
俺はたまたま、売れなかった時代から今のような大スターになるまで、何十年もの間、たけしという男をずっと近くで見てこられた。思えばそれは、むちゃくちゃ幸運なことではなかろうか。
たけしと過ごした時間は俺にとって誇りであり、宝物だ。
それがあったから、俺もがんばれた。せめて、たけしに5分の1でも近づきたいなあと、いつも思ってる。
この「宝物」を自分だけのものにしておくのはもったいない。そう思ったのが、この本を書いてみようと思った一番の理由だ。
佐賀のばあちゃんは、俺が故郷を出ていくとき、
「学校には学校の教科書がある。社会にはもっと大きくてもっと分厚い、もっと大事な教科書があるから心配するな」
と教えてくれたけど、今思えば俺にとっての教科書は「人」だった。
そして、一番分厚い教科書がたけしという存在だったんだと思う。(本文より)
「がばい芸人」たけしとの30年にわたる友情を描く、笑いと涙の感動作!
島田洋七といえば、「佐賀のがばいばあちゃん」の方は読んでないのですが、この本の中でもいくつかがばいばあちゃんの言葉は出てきます。
その中でも、「人生は山あり、谷ありって言葉の意味を知っとるか。頂上で記念写真撮ったら、降りてきんしゃい。山はずっといるところじゃなか。家も川もみんな谷にあると。冷たか水飲んで、もう一度山に
挑戦しんしゃい。」という言葉が一番身にしみました。
それと、この本一部では「がばいばあちゃん」をダシに、たけしをネタにしているとの書評がありましたが、自分はむしろ洋七とたけしとの強い絆を感じましたよ。
「がばいばあちゃん」の本にしても、たけしが「(おばあちゃんの話)メモしておけよ」ということがきっかけに書き溜めて出版社に持っていたところ、当初はバブル時代でどこにも相手にされず「振り向けば哀しくもなく」という書籍名で自費出版。それから10年くらいたって、たけしの勧めで「佐賀のがばいばあちゃん」と書名を変えて再出版したところ、評判になって徳間書店で文庫化、ベストセラーになって現在に至る。。。と
それと、たけしがフライデー襲撃事件で島流し(←違)になったときは、洋七がたけしの所へ通ったこともあったしね。
で、洋七とたけしを引き合わせたのはやすし師匠だったと。。。
あと、紳介が昔「ひょうきん族」でやっていた「さんちゃん寒い」のギャグの原点は、B&Bに弟子入りしたときの自分の姿だったと・・・